発信と受信(捉え方)
見方、捉え方と言うものがある。
先にお伝えしておくけど、極度に頭悪い奴は読まない方が良い。
例えば事実は事実としてあるとしてもその捉え方は状態にもより様々だ。
ある女性を私が可愛いと思った。
しかしある人は可愛いとは思わない。
容姿と言う実在する事実は変わらなくとも解釈は様々
つまり
事実や真実とは分けて考える事が大切。
と言う事となる。
もうちょっと分かりやすい例で言えば↓↓↓の絵
見る人が見れば綺麗な女性の横顔にも見えるし
別の人が見れば、あるいは見方を変えれば
老婆の横顔にも見える。事実は同じでも解釈で変わる。
もう一つ[icon image=”arrow4s-r-b”]
これも有名ですね「ルビンの壺」
見る人が見れば中央にある壺
見方を変えれば、向き合う人の顔に見える。
と言う事で再度
事実や真実とは分けて考える事が大切。
つまりどの様な発信でも様々な捉え方が出来る。
正解はない、、、自分と未来は変えられるが、他人と過去は変えられない。
その人が捉えたそれがその人にとっての正解。
メディア・リテラシーと言う言葉がある。
情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。「情報を評価・識別する能力」とも言え、カナダ・イギリス およびオーストラリアでは、カリキュラムに取り入れるよう国の政府が指定している。アメリカ合衆国での扱いは、州によって異なる。アメリカ合衆国以外で は、メディア・リテラシーが単に「メディア教育」と呼ばれることも多い。「情報を処理する能力」や「情報を発信する能力」をメディア・リテラシーと呼んでいる場合もあるがこの項では主に、「情報を評価・識別する能力」「情報をクリティカル(批判的)に読み取る」という意味でのメディア・リテラシーについて記述する。
日本人はこのメディア・リテラシーが低いとされている。
おそらく韓国の方が極度に低いと思うが、確かに日本も高くはないだろう。
例えば震災時の報道や公人に対するバッシング、イラク人質問題、亀田VS内藤さん
これらの流布の方向性を見ても、
報道が流した流れのままと言う所からも確かにメディア・リテラシーは低いのだろう。
根底は魔女狩りが流行った中世の流れにも似ていて恐ろしいな。
ちょっと脱線しちゃいましたが、物事ってのには色々な捉え方が出来る。
むしろ色々な捉え方を俯瞰して見れるのが大切なんじゃないかと私は思う。
正解はない、、、ただし嘘はある。
物事を俯瞰して見れば、己の嘘には気付けるし
物事、自分が実際に関わらない限り、その奥に流れているものは見えないものだが、
手前の嘘には気付けるだろう。
と言っても[icon image=”arrow4s-r-b”]これ系には
言っている意味すら伝わらないと思うが、、、、(^^;)
まとめは長くなるので止めておこう、、伝わっている人に伝わると思うので
兎にも角にも、これってタクシーにも大切な事だな と思います。
あとこう言う記事は馬鹿対策です(笑)。
馬鹿取り線香みたいなものです(^_^)
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